言葉の用法ミスはどこまで指摘すべきか?

私の中の優先順位は何を置いても「質問者の疑問が解決し、解決方法が明示されること」です。疑問が解決するのであれば多少の用語や綴りの間違いは気にしないし、やり取りに支障が出るような間違えであれば指摘(確認)をします。

間違えを指摘するのでも、指摘だけになってしまうと相手の気持ちを削ぐことになるので質問への返答8に対して用語間違いの指摘2ぐらいを意識しています。

ときどき文法の指摘ばかりやっきになってそれだけになっているコメントを見かけます。

例えるなら、言葉の不慣れな国に単身で放り込まれて通行人に道を聞いたら、発音が悪いだの文法が悪いだの言われるばかりで肝心の道を教えてくれないような感じで、その国に対するイメージが悪くなること請け合いです。


用語は正しく使うべきなのは間違いないのでしょうが、できればほどほどでお願いしたいと思う次第です。


そもそも、このトピックを立ち上げた一つのきっかけはPC=パソコンとして使うことはわざわざ話の流れを止めてまで指摘をするようなことか?というのを最近ずっと思っていたけど言うきっかけを失ってたら内にたまってきちゃってついついこちらで噴出させてトピ主さんにも迷惑をかけてしまう結果になってしまったので、他の件も含めて忌憚ない意見が聞けたらと思う次第です。


普段コメントをされない方も含め、質問者側の意見、回答者側の意見いろいろ聞けたらうれしいです。

投稿日 2010/11/14 07:38

返信
返信: 167

2010/11/16 02:15 お子様ランチ. への返信

Finderの左側にあるのはサイドバーといいます。

iTunesの左側にあるのは,私は勝手に”左ペイン”と読んでます。

さてiTunesの左側の正規表現はなんていうのでしょう?


Finderに従うのであればそこはサイドバーなのかなと思います。でも右側もサイドバーなんですよね (^^;

これなんかは言葉は正しく使われているのに話が行き違っちゃった例ですね。

https://discussionsjapan.apple.com/message/100560748#100560748

正しく使っても行き違うときは行き違う、そんなもんです (^^;;

2010/11/16 17:29 Homes への返信

基本的にオフトピックに反対のお立場のようで,「おもちゃ箱」という表現にお子様ランチ様の感想が集約されているように思います。


オフトピックに反対というか、「Apple製品」にすら関係ない話を延々とされるのが反対ということなのだと思います。

エッセンス的に入るのであればいいのですが、しい坊さんの場合一見関係なさそうな話でもどんどん自分の専門の話に持っていき話を膨らませていきます。それをやめて欲しいんです。

返信に返信を重ねるうちに脱線することはよくあることと思いますが、しい坊さんのは度が過ぎると感じます。

ここに言語学の勉強をしにきたわけではないのに、その話を延々されるとうんざりさせられます。

#しい坊さんの話にのるとどんどん話が脱線していくので怖くてコメントがつけられません。

オフトピックの定義も曖昧ですが、Apple製品の話だけど技術的な話から離れるという意味のオフトピックなら「アリ」(というかあったら楽しい)だと思います。例えばこれ。

Apple Discussions - Japan: サクサク感は気持ち良いですね (https://discussionsjapan.apple.com/message/100565344#100565344)

#書き込むタイミングを失って結局書き込めませんでしたが・・・

Apple製品に全く関係しないトピックは個人的にはナシだと思っています。

でも、他人が立てた質問用のトピックをおもちゃ箱にされなければそれでいいと今回いろいろ話を聞いてそう思うようになりました。

2010/11/20 20:02 Hanai への返信

Hanai

あまり詳しくない者にとっては、こういった場に飛び込むのは勇気がいります。

パソコンに詳しい人はツンとした感じの人なんじゃないかとか、バカにされるんじゃないかとか、話が通じるんだろうかとか、とてもこわいです。

だから、時々、常連さんの人となりが垣間見えるような場をなごませる一言があると、ホッとします。

そのあたりの加減、個人のセンスだと思うし、センスを人に教えることはできないと思う。

結構、重要な事かも知れませんね。

ちょっとした話題も「ありますね〜」程度なら良いんでしょうけど、更にそれに話を被せてしまうと脱線方向に行ってしまう事が多いですし。

それはディスカッションボードで書込みをしている方達が、個人的な連絡方法を持たないから、脱線した話もディスカッションボード上で行われてしまう訳です。

だからといって、ダイレクトに連絡出来る様にして欲しいとかメールが送れる様にして欲しいのではないですけど、、。


書込みする事は慎重になってしまいますよね。私も多少は慣れましたが元々まとめるのは下手だし。

2011/04/11 03:51 polon31 への返信

polon31 さんによる書き込み:


ところで、誤字・脱字・変換ミス・打ち間違い等はどうなんでしょう? 


ん? polon31 さんがコメントを付けておられる「Re: 言葉の用法ミスはどこまで指摘すべきか?」にそこら辺ことは詳しく書いておりますが?(私の文章は1度印刷していただかないと意味が正しく伝わらないようです...。)


一番問題なのは本来の意味が推定できる単なる誤変換よりも、数字などの間違いです。これはなかなか数値が間違っているかどうか判断がつきません。出版界の常識では「何の誤字かわかる誤植は誤植の内に入らない」というのがあるそうです。単に「みっともない」だけという考え方でしょう。



私はこのあたりを気にするので、自分の投稿はミスがあれば修正しますが、皆さん結構ほったらかしですよね?


私は自分で気付いた場合には、修正していますが、現在は15分位でしたっけ? 時間が経つと修正ができなくなっていますので、それはシステム上放置せざるを得ません。以前は無制限に訂正できたのですがね。本当に不便になりました。スレッドの移動もできなくなりましたし...。


私は誤変換などはいちいち報告・告知することなく、黙って訂正できるときには訂正しておけば良いと思っています。いちいち「〜は〜の誤変換でした m(._.)m」等と報告するのは五月蝿いだけです。



あと、「こんにちわ」ではなく「こんにちは」、「すいません」ではなく「すみません」ですが、これはもう間違ってる人の方が多い位でほとんど諦めてますが、実はとても気持ち悪いのです。


「こんにち」は正書法上「こんにち」の誤表記です。つまり正書法上の間違い。ちょっと違いますが、まぁ、文法上の間違いと捉えていただいて結構です。しかし「すいません」と「すみません」は単に文体の違いです。「すいません」は口語体になります。最近の若者言葉で言えば「タメグチ」というやつで、必ずしも文法的に間違っているわけではありません。ただし、こういう、Apple サポートコミュニティ のような公共の場で使うには相応しくない表現だと思います。

2011/04/27 11:41 Hanai への返信

Hanai 様、みなさま

Hanaiさまの貴重なご意見、大変、参考になります。ありがとうございます。

私は、教えを乞う側でも、相手(全世界のApple製品ユーザ)に、「あなたの回答は感じ悪いです」「回答もらっても文章がわかりにくくてサッパリ理解できません」という伝えたい気持ち(権利ではありません)があれば、それは、率直に伝えてよいと思います。

しかし、その気持ちを正確に相手に伝える具体的な伝え方が、なかなか難しく、私もよく失敗することが多くあります。

ですが、この場、は少なくとも「全世界に公開されている場」ということを、よく意識していれば、その伝え方は、おのずとわかるのでは、とも思います。

人間ですから感情的になり、多少不適切な発言があっても、この場では、みなさまのコメントや、Apple Inc.様がきちんと修正してくださいますので、その点、とても安心と思っています。


最近のインパクトのある事例:

アドレスをダウンロードできない

https://discussionsjapan.apple.com/message/100589109#100589109

小百合さまのご質問は、上記、1文のみでしたが、少なくとも、私(全世界のApple製品ユーザの一人)には、iPhoneの使い方で、小百合さまが大変お困りのご様子で、「アドレス」ですから、きっと「メールかな、Webかな?」のアプリケーションで、「ダウンロード」ですから「ネットワーク」につながっている環境の問題かな?、ということぐらいまでは、その気持ちを伝えることは、成功したと思っています。(小百合さまの本意は、わかりませんが、私の想像で申し上げております)

これに対して、みなさんから多くの回答がありましたが、その後の小百合さまからのお返事がまだですので、どのようなお返事をいただけるのか楽しみにしております。

2010/11/14 19:55 HAL への返信

これまでも毎回そうでしたが...。


  1. このサイトのあり方はどうであるべきなのか?
  2. 回答は技術仕様書のように簡潔であるべきなのか?
  3. 脱線・オフトピは容認できるのか?(ある程度までというのであれば、その境界線の定義は?)
  4. 参加者らの自由意思と個性はどこまで容認できるのか?
  5. 人生・経験・意見・思想・価値観・文体、等の多様性は容認するのか?
  6. 異論があった場合には、火に油を注ぐのではなく、ソフトランディングに努めるべし


そういう問いかけに対しては1度も明快なお答えを頂いていないような気がするのですが? まず、ご自分の立位置を明確にしていただきたいと思います。

2010/11/14 20:14 亀どん への返信

亀どん さんによる書き込み:

しい坊 による書き込み:


Apple ][ でしょ、とか (^^)?


あははは! そのとうりです!

[...]

またまた脱線。 失礼・・・・・



脱線は、



  1. 場を和ませる効果がある(場合もある)
  2. その会議室のテーマだけでは手に入らなかった思わぬ知識(蘊蓄)が手に入れられる(かもれいない)



ので、非常に有効だと思っています。人間や動物もそうですが、機械も(例えば自動車のハンドルとか)、社会も、経済も、システムも、「遊び」がないと破綻します。そういう意味で最近の経済システムなんてのは、乾いた雑巾を絞り取るようなやり方になってきていて、その内、とんでもないことになると思っています。というか、すでになりつつあるか...。


*コメントの一部を削除させていただきました。Apple Inc.

2010/11/14 07:59 HAL への返信

間違えを指摘するのでも、指摘だけになってしまうと相手の気持ちを削ぐことになるので質問への返答8に対して用語間違いの指摘2ぐらいを意識しています。


私も以前は言葉の間違いを指摘することが多かった一人ですが、いまはHALさんと同意見です。

用語の誤りを指摘する「だけ」のコメントは、百害あって一利なしと考えます。


「デスクトップ」と「ディスクトップ」の違いや、「iTunes」と「iTune」「itunes」「i-Tunes」の違いなど、どうでも良いことです。


問題なのは、別の意味にとられてしまう間違いです。

「ダウンロード」という意味の操作を質問者が「インストール」と表現していて、そして「ファイルが開けない」と質問している場合などがそうでしょう。ファイルを開くためのソフトをダウンロードしているだけで、インストールしていないのですから。これでは回答者には問題の原因が掴めません。


それ以外については、細々と指摘しないほうが、質問者を追い詰める状況を避けられ、ここを読むほかの人たちも悪い気分にならずに済み、誰にとっても良いことだと考えます。(用語の違いが気になって仕方ない人には、気分が悪い状態かもしれませんが。)

2010/11/14 08:21 HAL への返信

とても大切なことだと思うのですが、それは、


私たちはアップルのサポート要員ではない


ということです。私たちは、同じアップル製品を使う者同士のコミュニティです。


ここで回答をしている常連の方々は恐らく全員が善意の持ち主で、かつ、困っている人を助けたいと思っていると思います。そこまでは多分異論がないと思います。


しかし、私は、ここに参加している回答者たちはあくまでも独立した自由人としての個人であって、困っている人を“お客様”と看做し、懇切丁寧に、相手が傷つかないように、サービスに徹するべきではないと考えています。平等な参加者同士なのだから時には衝突することがあっても良いし、厳しいことを言っても良いと思います。


用語の指摘に関しては、多くの人は単に気付いていないだけで、指摘されると(キレて、2ちゃんねるで書き込む人もいるようですが)少なくない人は、単に「ああ、そうだったんだ」と納得されると思います。もし、その程度のことで気分を害して、アクセスしなくなるのであれば、問題が解決できなくなるのは本人の問題であって、こちらの責任ではないと思います。


要するに自然体で接すれば良いのであって、強圧的にある必要もないし、卑屈になる必要もないということです。


用語を指摘したい方は指摘すれば良いし、技術的なことだけに回答されたい方は、そうすればよい。それだけのことです。質問者も、回答者も、色々な人がいます。それが社会と言うものです。


「一事が万事」ということがあります。私が用語の指摘をする場合は、用語以前の質問のし方等の問題がある場合が多いです。だいたい用語がいい加減な人の質問は質問自体が支離滅裂な場合が多いです。「一事が万事」要するに、用語がおかしいのは、単なる結果に過ぎないと考えています。


常連同士でも多少、納得いかないことはあるでしょう。しかし、恐らく全員の共通認識は、全員が善かれと思って回答しているということです。それには疑問の余地はないでしょう? ならばそれでいいではありませんか? ここで回答なさっている方々は、人生のベテランが多いでしょう。40年も、50年も人間をやってきています。人は簡単には変われないし、変わる必要もない。それぞれの知識と個性を生かして回答すれば良いと思います。頑固な人、偏屈な人、優しい人。色々あっていいじゃないですか?

2010/11/14 10:26 HAL への返信

個人的には返答の中で指摘するのは構わないと思います。既にご指摘がある

とおり自由意思による参加者の集まりなのですから、明確な意思をもって

場を荒らすのでない限りはどのようなスタンスでもよいかなあと。


用語の誤用等を指摘することそのものは、知らなかった人にとってはそれを

調べる切っ掛けにもなります。そこから別の知識を得ることもあるでしょう。

難しいのは、文字が主体の場だと意思疎通にも限界があるので、親切心から

発生した指摘でも嫌みにとられかねないことですね・・・


--

以下、余談です。


政治経済の資料集で見た過去の政府広告に「非常識も続けば常識になる」と

いう意味のものがありましたが、言葉もまさにそうで、誤用も使い続ければ

そうでなくなることもありますよね。例示するなら、「Webサイト」に対する

「ホームページ」、「クラッカー」に対する「ハッカー」など。個人的には

後者の例は許容しがたいので、日常会話でも周りに訂正し続けています。


言葉は生き物なので時代によっていろいろ変化すると思います。先の例示を

見た方の感想はいろいろあると思いますが、それが当たり前でしょうね。

変化を許容する閾値も十人十色でしょうから。

2010/11/14 14:37 HAL への返信

言葉の誤用ないし誤記を指摘しておかなければ正確な状況把握が困難で、トラブル解決の妨げになりうる場合には、当然に指摘すべきと思います。


たとえば、「MacBook Pro」を「Mac book-pro」などと書いている場合は、誤解なくそれと分かる限り、(回答者が回答のなかで正確な記述を心がければよいだけで)あえて指摘するほどではないといえるけれど、「MacBook G4」などと書いていて、トラブルがとくにハードウェア関連のような場合は、機種を特定する必要があることから、当然に指摘すべきかと。


私個人としては、Apple製品やパソコンそのものを使い始めてから日の浅い質問者が、コンピュータ関連の用語等を誤用・誤記するのは無理もないところがあるので、とくに初心者と思われる質問者に対しては、誤用・誤記の指摘はやむを得ない場合にとどめて、他方、回答者が用語等を誤用・誤記するのは、このDiscussionsのデータベースとしての価値を低下させかねないことなので、回答者に対しては、誤用・誤記の指摘は適宜行うのがよいのではないかと思っています。

2010/11/14 22:11 HAL への返信

>言葉の不慣れな国に単身で放り込まれて通行人に道を聞いたら、発音が悪いだの文法が悪いだの言われるばかりで肝心の道を教えてくれないような感じで、その国に対するイメージが悪くなること請け合いです。


ここにだけ反応。私なら,道を知らない人でも道の聞き方を教えて下さったら,他の人に適切に聞けるようになるので「絶対に」感謝します。イメージが悪くなるというのはとても想像できません。どんな分野でも,ささいなことでもskill upは嬉しいことです。

むしろちょっとした助言・指摘に自分の意図と違うことがあれば気分を害される方が,そこそこ(非常にではないと思いますが,諸外国より多く)おられるように感じることが不思議なのです。日本文化にそんなに尊大なところがあるとは思えないのですが・・(別トピックでしい坊さんがご指摘のように民族性の問題?)。

私は,的確でも重箱の隅でもトンチンカンでも脱線でも,Replyは規約を大きく逸脱しない範囲で,自由であるべきと考えております。


追記:用法ミスをどこまで指摘するべきかも,それぞれの立場や知識での判断によると思います。色々の立場から色々なReplyがあれば良いので,「100%用語の訂正」でもまったく結構かと思います。何が正しい用法かは非常に難しいので,それが分かるだけでも有益です。むしろその程度のことで「イメージを悪くする」方々の心象に関心があります。よほど叱られず大事に育てられたとか,会社でいつも威張っているとか,陰口を言っても面と向かって言わない民族性とか,色々あると思いますが,それを気にしてReplyに自己規制をかけるのは変と思います。

2010/11/14 17:51 HAL への返信

HAL さんによる書き込み:



例えるなら、言葉の不慣れな国に単身で放り込まれて通行人に道を聞いたら、発音が悪いだの文法が悪いだの言われるばかりで肝心の道を教えてくれないような感じで、その国に対するイメージが悪くなること請け合いです。



どうして HAL さんは、人の行動の裏に常にそのような悪意が潜んでいると想定されるのでしょう? いや、もちろん、「悪意」という表現はお使いではありませんが、そのように感じておられるのだろうなと、感じられます。


見知らぬ異国で道を訪ねた時に、例えば「ブダペスト駅はどちらですか?」と訪ねるつもりで、その外国人が「ブカレスト駅はどちらですか?」と訊ねてしまった場合には、現地の人はニコニコして、あるいは苦笑して「それはブカレストではなくて、ブダペストですね (^^)?」と指摘するでしょう。(実際に私は外国で「おお、日本人か! 私は日本に行ったことがあるよ。良い街だったねぇ。確か香港という街だった」と言われたことがあります (^"^;)。)普通、指摘された方が、「おっとぉ、失礼しました (^-^;)ゞ。確かにブダペストでしたね (^^;)」と反省こそすれ、相手に腹を立てることはないでしょう。(しかし、最近の日本人旅行者なら腹を立てるかもしれませんね。「ブカレストはここから千キロ近く離れている。ブダペストを言い間違えたに決まっているのに、あえて間違いを指摘した。ここのヤツラは皆意地が悪い (`0';)」なんて怒り出すのかな? 相手の国の首都名を間違えて礼を失したのは本当は自分の方なのに...。なんか、ありそうで怖い (^"^;)。)


その外国の例に戻りますが、都市名を間違えたことをやんわりと指摘された旅行者は結果的には道順を教えてもらって、都市名を間違えたことも、ある意味、懐かしい(楽しい)失敗、つまり“旅の良い思い出”として駅に向かったはずです。ところが、その旅行者が都市名を間違えた時に、その現地の人に都市名をやんわりと訂正されて、本人が反省していた時に、その現地の人と同行していた人が、あえてその旅行者に聞こえるように「おい、そんな意地悪言うもんじゃないよ。お前だって彼がブダペストのつもりでブカレストだと行ったことくらいわかってるだろう?」と言ったとしたら、何が起こるでしょう? せっかく親切にされて、感謝していたその旅行者は、「あ、この人たちは意地悪だったんだ!」と理解してしまい(もちろん、誤解です!)、実は正しい道順をきちんと教えてもらったのに、そのことは忘れて、不愉快な怒りだけが残ってしまうでしょう。それでは、せっかく善意で道順を教えてあげた方も浮かばれません。


HAL さんは、「多少の違いは容認すべきだ」との意見に対して「多少はね」とお答えになっています。つまり、「多少に関しては同意するが、あなた(ないしあの方)は、その多少をすでに逸脱していた」とおっしゃりたかったのだと思います。問題は、それは HAL さん個人の主観的な規準に過ぎないということです。仮に多数決を取ったとしても、それまた多数派の規準に過ぎない。人はみな自分自身を規準にして考えます。私も含めて、私ならそこまではOKだという線があっても(それは HAL さんにはすでに限度を超えていることになっているかもしれません)、私でも「それはちょっとやり過ぎ」と感じる線があります。人によってその境界線は違うのです。


ならば、何度も書いていることですが、ここでの規準は「善意」が認められるかどうかに尽きると思います。これ以外の規準を導入すると、恐らく収拾がつかなくなります。なぜならば人々にはそれまで生きてきて培った“生き様”、価値観、行動規準があるからです。


悪意が認められたら(勘違いかもしれません)とりあえず、やんわりと、質問者が萎縮しないようにソフトランディングの側面支援をする。表で注意することは、先ほども書きましたように、質問者に誤解(予断)を擦り込んでしまうことになりますから、避けるべきだと思います。


色々な人がいるのだから、色々な人がそれぞれの方法でソフトランディングできるおように支援すれば良いと思います。


その点で ni_ki さんのフォローはいつも傍で見ていて素晴らしいと感じています。トラブりそうになったら、決してそのことには触れず、さりげなく、何事もなかったかのように話題を続けていく。それこそ、まさにここで求められている振る舞い方ではないでしょうか?



日本語を学んだ外国人は自分たちの言語にはない「肩凝り」という言葉を覚えてから、肩が凝ってしょうがなくなったと嘆きます。ハンガリー人のシェイェ・ヤーノシュが「ストレス理論」を発表してから、世界中の人たちは自分たちがストレスに晒されていることに気付いてしまい、それ以来、ストレスに悩まされるようになってしまいました (^^;)。同様に、質問者の面前で、ある回答者に対して「それは質問者を傷つけます」とか「不快にさせます」と指摘することは、相手の親切を喜んでいた質問者に対して(もちろん、喜んでなかった質問者もいるでしょうが)「この人は意地悪なんだよ」という予断を刷り込ませる行為になります。そうは思いませんか?

2010/11/14 18:09 子持ちシシャモ への返信

子持ちシシャモ さんによる書き込み:



個人的には返答の中で指摘するのは構わないと思います。既にご指摘がある

とおり自由意思による参加者の集まりなのですから、明確な意思をもって

場を荒らすのでない限りはどのようなスタンスでもよいかなあと。


用語の誤用等を指摘することそのものは、知らなかった人にとってはそれを

調べる切っ掛けにもなります。そこから別の知識を得ることもあるでしょう。



そうなんです。私なんかは、間違いを指摘されると嬉しくなる方なんで。逆に、黙っていられると、ずっと恥をかかされていたわけで、そちらの方が意地悪な人間のように感じてしまいます。


難しいのは、文字が主体の場だと意思疎通にも限界があるので、親切心から

発生した指摘でも嫌みにとられかねないことですね・・・


本当に難しいです。しかし、難しいからこそ、その誤解を助長するようなコメントは厳に慎むべきだと考えています。(背後から銃は撃つなということですね。)例えば、一見丁寧で優しい文でも「○○さん、そう言ってしまうと、○○だと誤解されてしまいますよぉ!」と指摘することで、実は、それが「○○」であった可能性を相手(質問者)に擦り込むことになります。これの心理的なテクニックを利用した事件を扱ったのが、アガサ・クリスティーのポワロ最後の事件の『カーテン』です。私は、彼女の最高傑作だと考えています (^^)。




--

以下、余談です。


政治経済の資料集で見た過去の政府広告に「非常識も続けば常識になる」と

いう意味のものがありましたが、言葉もまさにそうで、誤用も使い続ければ

そうでなくなることもありますよね。



その通りです。


例示するなら、「Webサイト」に対する

「ホームページ」、「クラッカー」に対する「ハッカー」など。個人的には

後者の例は許容しがたいので、日常会話でも周りに訂正し続けています。


文系の言語学の立場からは、異議ありですが (^^)。(つまり、ホームページやハッカーという用語の現在の使い方を容認する立場です。)ただし、ここはコミュニティですから、そのような意見を述べる人がいても構わない。これは別に“間違い”かどうかということではなく、立場の違いに過ぎないからです。私自身は「ホームページ」や「ハッカー」を使うべきだと考えています。なぜなら「ハッカー」と「クラッカー」を区別しているのは英語の話であって、日本語では違うからです。英語では「ロサンゼルス」を「ロス」とは言わず「LA」と言うのかもしれないが、日本語の音韻法則からは「ロス」と略すのが正しい。ただし、日本語でも「ハッカー」と「クラッカー」の区別が定着してしまえば、それまた、それはそれでいい。問題は、日常的に英語の文献を読んでいる人と一般の人との間の感覚というか、常識が違うということなんですよね。


でも、いいんです。あなたはこう考えている。私はこう考えている。お互いに、「ほう。そういう考え方もあったのか!」と楽しんでしまえば良いのです。(ところが日本社会には、と言うか日本人のメンタリティーには異常なほどの同化圧力があって、そのような些細な違いを容認できない、許せないと感じてしまう人が多いのですね。)



言葉は生き物なので時代によっていろいろ変化すると思います。先の例示を

見た方の感想はいろいろあると思いますが、それが当たり前でしょうね。

変化を許容する閾値も十人十色でしょうから。


まったくおっしゃる通りです (^^)!

2010/11/14 18:30 Homes への返信

Homes さんによる書き込み:


ここにだけ反応。私なら,道を知らない人でも道の聞き方を教えて下さったら,他の人に適切に聞けるようになるので「絶対に」感謝します。イメージが悪くなるというのはとても想像できません。どんな分野でも,ささいなことでもskill upは嬉しいことです。


全く同感です (^^)。



むしろちょっとした助言・指摘に自分の意図と違うことがあれば気分を害される方が,そこそこ(非常にではないと思いますが,諸外国より多く)おられるように感じることが不思議なのです。



欧米人の場合は、指摘されると素直に「ラッキー。ひとつ勉強になった。得した (^^)!」と感じる人が多いようですが、減点主義の日本文化の中では失敗を極端に恐れ、自尊心が傷ついてしまうのでしょうね。減点主義ですから、間違いを指摘されるというのは、人生にも関ることだと言うことが、小学校の時代から無意識に刷り込まれてきているのでしょう。



日本文化にそんなに尊大なところがあるとは思えないのですが・・



「尊大」なのではなく「臆病」なんです。日本人は世界でも稀に見るほど気が小さい民族だと思っています。ストレス耐性が低い。もっとも、「尊大」と「謙虚」は裏表です。善良で、気が小さく、臆病だからこそ、しばしば突然傲慢になったり、虐殺をしたりしてしまうのでしょう。



(別トピックでしい坊さんがご指摘のように民族性の問題?)。



民族性と言うか、社会の問題と言うか...。ま、社会は民族が作っているわけですから、民族性かなぁ...? とにかく人とちょっとでも違うタイプの人間には息が詰まるような社会であることは間違いないですね。同時に、人と同じになれば、保護されて、非常に居心地が良い。そして同調多数派集団に属する人たちは、彼らと微妙に違い、同調しないで自由に振る舞っているような人間に遭遇すると、非常に不安になり、やがて彼らに対する怒りとなって、同調集団の価値観を守ろうとするようです。




私は,的確でも重箱の隅でもトンチンカンでも脱線でも,Replyは規約を大きく逸脱しない範囲で,自由であるべきと考えております。




まったくその通りだと思います。これ以上のことを要求するのは、要するに単なる自分の価値観・趣味を押し付けたいだけだと思います。


このメッセージは次により編集されています: しい坊

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